劇作家の平田オリザさんがグローバル人材について興味深い指摘をしていました。
その指摘を聞いていると、都立中高一貫校の経営目標にある「グローバルな人材を育成する」というものも、一見素晴らしいことのように見えますが、このグローバル人材の育成は注意しないと悲惨な将来が待っているんじゃないかと不安になりました。
平田オリザさん曰く、日本の現在の教育だとグローバル人材とは「ユニクロのシンガポール支店の店長を育成すること」だということです。
つまり、いつでも会社のために辞令一本で海外へ転勤してくれる。しかも給料も東南アジアの優秀な人材と同程度の給料で満足してくれる自己評価の低い人材の育成、です。
グローバルな競争社会では、確かにそういった日本人から見れば低賃金でも高収入だと感じてくれる発展途上国の若者たちと就職活動で戦っていかなければならなくなります。
そういう雰囲気を出すために、企業も海外からの人材を受け入れ、社内公用語を英語にするなどして「君らより安い賃金で働いてくれる優秀な人材はいくらでもいるよ」ということを常にアピールして自己評価を下げさせるような体制を構築していっています。
そして学校側は、そういった社会に出ても負けないようなグローバル人材を育成するための教育を行おうとしている、という。
これって、せっかく頑張って勉強したのにその先に待っている未来が悲惨すぎて、この現実を子どもに突き付けたら絶望しちゃうんじゃないかというくらいのことですよね。
というか、私ですらもうこのグローバル化の波からは逃げられないような気がして恐ろしくなってしまいました。
じゃあどうすればそんな悲惨な未来を回避することができるのか。
それはやっぱりグローバル人材のもう一つ上の段階になれるようにするしかない、ということだと思います。
私なんかからすると、英語ができて現地の人間とタフな交渉ができるグローバル人材なんて言うのはエリートだと思いますが、子どもたちの世代では、おそらくそれでも普通、並、一般的といった評価が下されてしまうのではないかと思います。
そうなると、そもそもグローバル人材の中でエリートになろうとするのは、ものすごい才能と運が必要になってしまうんじゃないでしょうか。
とてもじゃないですが、私もわが子もそこまでの人間になれるという自負はありません。
だとすれば、グローバル人材の競争に巻き込まれないような、そういった競争とはある種、別のエリート集団に入れるように頑張った方がいいんじゃないかと思います。
それは、研究職や法律家などの専門職、といった国ごとにある程度の壁を設けている職業ではないかと思います。
会社に「就職」するのではなく、手に職をつけて会社を渡り歩けるような「職」に就いてほしいと思います。
どんな仕事を選ぶのか、どのような生き方を選ぶのかは当然、本人次第ですが、都立中高一貫校の6年間でぜひこのような背景を学んだうえでキャリアについて考えてほしいと思います。